家族が、万博やってるよー!と叫ぶので、テレビを確認すると、
松下館の似顔絵ロボット、PanaRobo ロボッ子が紹介されてた。
実際には、私の中では、ロボッ太のイメージが強いのですが、
今回商会されたのは、ロボッ子という事で、珍しい(?)と思いましたね。
アーム部分にロボッ子かどうかわからないのですが、PanaRoboの表記も見えて、
後の、スターツアーズのパナロボに通じるものを感じた次第です。
Tverありますかねー。あればもう一度確認できるんですけど。
残念ながら白浜エネルギーランドには、いないようです。残念!
ロボッ太
https://www.energyland.jp/blog/b_blog/energyland40th-8.html
2023年03月22日
2022年01月16日
コスモ星丸ガチャについてのメモ
コスモ星丸がガチャポンになったそうですね。
気づいたはの昨年の秋。
そもそも夏の緊急事態宣言のまっただ中に、ガチャポンやりにも行く事できませんから。
(そもそも、そもそも。35周年も虚無の時間をすごしました。痛恨ではあります)
秋も深まった頃、もう初冬になって若干探しては見たのですが、店頭には無かったですね。
通販、、、に手は出しませんでした。
残念だなぁ、と思っていたところ、新色で再販あると聞きましたよ。
3月ごろらしいので、少しだけ楽しみにしてます。
買えなかったから買えなかったで、仕方ないですね。
ちゃんとライセンスで活用されてるみたいで、喜ばしい限りです。
これからも末永く資産活用をしていただきたいですね。
気づいたはの昨年の秋。
そもそも夏の緊急事態宣言のまっただ中に、ガチャポンやりにも行く事できませんから。
(そもそも、そもそも。35周年も虚無の時間をすごしました。痛恨ではあります)
秋も深まった頃、もう初冬になって若干探しては見たのですが、店頭には無かったですね。
通販、、、に手は出しませんでした。
残念だなぁ、と思っていたところ、新色で再販あると聞きましたよ。
3月ごろらしいので、少しだけ楽しみにしてます。
買えなかったから買えなかったで、仕方ないですね。
ちゃんとライセンスで活用されてるみたいで、喜ばしい限りです。
これからも末永く資産活用をしていただきたいですね。
パックマンのコピーゲーム、TITAN
パックマンのコピーゲームの動画見てたんですが、
ポパイマンあったなー。ジグザグはやったなーと思いながら見てたのですが、
TITANというコピーゲームのキャラクターが、
コスモ星丸で、良かった。という日記です。
偶然かな。
ポパイマンあったなー。ジグザグはやったなーと思いながら見てたのですが、
TITANというコピーゲームのキャラクターが、
コスモ星丸で、良かった。という日記です。
偶然かな。
2020年05月26日
昼飯旅で、つくばエキスポセンターが映ってたらしい。
すごいな。いつも万博万博と私が言ってるので、
H-IIロケットの模型で気がついたそうです。
H-IIロケットの模型で気がついたそうです。
2020年05月08日
ライブマン第1話配信はじまりました。
在りし日のエキスポセンターが見られます。
風を見る樹とか、ゆるぎ石が見て取れますが、
トマト館がいいですね。ちょっと懐かしくて。
2020年02月15日
コスモ星丸ロボ復活に寄せて、MQRの話
私、MQRでしたね。ちょっと忘れてました。
コスモ星丸ロボ、動いたんですねー。
2001年、熊本で見た時は、バッテリーがあがっていて、コンセントに繋いで動かしている状態でした。
あと角が折れていたかな。角度がおかしかったような記憶があります。
とはいえ、2001年の事ですから、もう19年も前の話です。
さる方に教えていただいて、熊本の博物館まで見に行ったのです。
(その時には、青、ピンク、紫の3体がいるらしいという情報を教えていただいた記憶です)
その後、星丸ロボ(青)は、大阪のイベントのあと、つくばに帰って来たようです。
昨今、失われた技術というのでしょうか、ロボットの復活が聞かれますね。
ロボットシアターのロボットの話や、受付小町の復活の話は、少し前になるでしょうか。
https://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/1603/04/news005.html
私MQRは、古代人サイボットというつながりからサイボットも捜索していまして、
熱海秘宝館にマーメイドのサイボットが復活したのも把握しています。
どのニュースを見ても思うのが、どれもロストテクノロジーで当時の再現は難しいと思う事です。
当時の最新技術は、今はもう失われしまっていて、今の最新技術で新しい形で修復するしかない、
という当たり前なのですが、そういう事なのです。
私個人的には、見ててさみしい思いがあるのですが、そのまま歴史の中に消えてしまう
ロボット達に比べれば、新しいいのちが吹き込まれたと思います。
それにしても、コスモ星丸ロボットのオリジナルスペックは、素晴らしいですね。
表情が変えられるのが、特に素晴らしいです。
サイボットも今の最新型の2020年型のアニマトロニクスに比べるとさすがにいい勝負するとは思いますが、
当時としては、ちょっとぶっとんでる未来から来たロボット(?)ですね。
日本はアクトロイドの後が、あんまり進んでない印象があるかなぁ。
どれも中身の方(AI的な脳)は、進んでるんでしょうけどね!
参考:2001年熊本にて

ベラボーマン、スタンパーでおなじみの表情変更システム。

LEDによるじゃんけんシステム
コスモ星丸ロボ、動いたんですねー。
2001年、熊本で見た時は、バッテリーがあがっていて、コンセントに繋いで動かしている状態でした。
あと角が折れていたかな。角度がおかしかったような記憶があります。
とはいえ、2001年の事ですから、もう19年も前の話です。
さる方に教えていただいて、熊本の博物館まで見に行ったのです。
(その時には、青、ピンク、紫の3体がいるらしいという情報を教えていただいた記憶です)
その後、星丸ロボ(青)は、大阪のイベントのあと、つくばに帰って来たようです。
昨今、失われた技術というのでしょうか、ロボットの復活が聞かれますね。
ロボットシアターのロボットの話や、受付小町の復活の話は、少し前になるでしょうか。
https://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/1603/04/news005.html
私MQRは、古代人サイボットというつながりからサイボットも捜索していまして、
熱海秘宝館にマーメイドのサイボットが復活したのも把握しています。
どのニュースを見ても思うのが、どれもロストテクノロジーで当時の再現は難しいと思う事です。
当時の最新技術は、今はもう失われしまっていて、今の最新技術で新しい形で修復するしかない、
という当たり前なのですが、そういう事なのです。
私個人的には、見ててさみしい思いがあるのですが、そのまま歴史の中に消えてしまう
ロボット達に比べれば、新しいいのちが吹き込まれたと思います。
それにしても、コスモ星丸ロボットのオリジナルスペックは、素晴らしいですね。
表情が変えられるのが、特に素晴らしいです。
サイボットも今の最新型の2020年型のアニマトロニクスに比べるとさすがにいい勝負するとは思いますが、
当時としては、ちょっとぶっとんでる未来から来たロボット(?)ですね。
日本はアクトロイドの後が、あんまり進んでない印象があるかなぁ。
どれも中身の方(AI的な脳)は、進んでるんでしょうけどね!
参考:2001年熊本にて

ベラボーマン、スタンパーでおなじみの表情変更システム。

LEDによるじゃんけんシステム
すごいなー。星丸ロボだ
コスモ星丸、35年の眠りからついに目覚める。ナムコのステッカーまだ貼ってあった#TMMF2020#コスモ星丸 pic.twitter.com/FDO6isQOlW
— ロボ先輩@3rd Factory (@3rd_factory_ro) February 15, 2020
2019年12月15日
マスクマン 第11話 冒頭にエキスポセンターの情景
87年ごろのエキスポセンターの景色は、ぐっと来るものがありました。
懐かしいです。
2019年04月29日
MQRにとって平成とは、情報通信の時代だった。
私、MQRとして、色々な視点があるのですが、
総括すると、平成とは情報通信の時代だったな、と思いました。
インターネットの革新というのが時代の核にはなると思うのですが、
インターネットが家庭に入って来たのは、バブル崩壊後の印象なんですね。
かと言って、パソコン通信は、昭和の印象なんです。
電電公社の民営化に発する、パソコン通信の印象が、個人的には強いです。
キャプテンシステム自体も、科学万博当時にはもうありましたけど、
テレトピアだ!地方キャプテンだ!というのはバブルに乗ってた感じがします。
地方都市にまでキャプテンシステムが浸透して、ローカルキャプテンとして、
キオスク端末が置かれていったのが、平成になってからの印象があります。
WINDOWSやインターネットの登場で、そのキャプテンのキオスク端末も
消滅してしまう訳ですが、ずっと遺伝子が繋がってると思います。
ある日突然キオスク端末が登場したのではなく、キャプテンのキオスク端末が現れて、
インターネットブラウザのキオスク端末に置き換えが進んで行った。
そういう印象です。
キオスク端末自体も、そんなにもうありませんね。スマホで十分ですから。
調べてみたら函館のキャプテンがはじまったのは1987年だそうです。
横浜博の時には、AINETありましたし、デザイン博の時にもNAMOSありましたから、
全体的にその頃なんだと思います。
地方キャプテンの立ち上がりは厳密に言うと、昭和の末期でしょうか。
家にいながら、オンデマンドで最新の情報にアクセスできたり、
双方向の情報のやりとり、課金、バンキング。
それが今や手のひらに収まってしまう。平成の30年はそういう時代でした。
科学万博当時、昭和80年を見越した未来像がありましたが、
2001年には、キャプテンシステムは、既に追い越されてしまってました。
今から令和20年の未来像を想像して越えられるのでしょうか。
それとも想像を超えて来るのでしょうか。ワクワクするような不安なような気持ちがします。
総括すると、平成とは情報通信の時代だったな、と思いました。
インターネットの革新というのが時代の核にはなると思うのですが、
インターネットが家庭に入って来たのは、バブル崩壊後の印象なんですね。
かと言って、パソコン通信は、昭和の印象なんです。
電電公社の民営化に発する、パソコン通信の印象が、個人的には強いです。
キャプテンシステム自体も、科学万博当時にはもうありましたけど、
テレトピアだ!地方キャプテンだ!というのはバブルに乗ってた感じがします。
地方都市にまでキャプテンシステムが浸透して、ローカルキャプテンとして、
キオスク端末が置かれていったのが、平成になってからの印象があります。
WINDOWSやインターネットの登場で、そのキャプテンのキオスク端末も
消滅してしまう訳ですが、ずっと遺伝子が繋がってると思います。
ある日突然キオスク端末が登場したのではなく、キャプテンのキオスク端末が現れて、
インターネットブラウザのキオスク端末に置き換えが進んで行った。
そういう印象です。
キオスク端末自体も、そんなにもうありませんね。スマホで十分ですから。
調べてみたら函館のキャプテンがはじまったのは1987年だそうです。
横浜博の時には、AINETありましたし、デザイン博の時にもNAMOSありましたから、
全体的にその頃なんだと思います。
地方キャプテンの立ち上がりは厳密に言うと、昭和の末期でしょうか。
家にいながら、オンデマンドで最新の情報にアクセスできたり、
双方向の情報のやりとり、課金、バンキング。
それが今や手のひらに収まってしまう。平成の30年はそういう時代でした。
科学万博当時、昭和80年を見越した未来像がありましたが、
2001年には、キャプテンシステムは、既に追い越されてしまってました。
今から令和20年の未来像を想像して越えられるのでしょうか。
それとも想像を超えて来るのでしょうか。ワクワクするような不安なような気持ちがします。